昨日決めたとおり、朝一で法律事務所に向かう。
ひどく青ざめた顔で(後で言われたのだが)、経緯と今後の相談。
最初に犯罪行為ではない、単に払えなくなっただけじゃないと言われ、
妙に落ち着いた。これで盾ができたのかな、と感じていた。
とうとう、銀行閉店時間15時経過するも、案外連絡なし。
17時頃から先ずはメインバンクから携帯に連絡あり。
当然ながら携帯の電源は落としてあり、臨時のウィークリーマンションにて
手続きに入り、即入居する。
夜は開き直って携帯にかかる電話を全て受けた。
10分おきにかかる電話、全てに謝るしかなかった。
信頼していた業者も手のひらを返したような態度で挑んでくる。
この日から携帯が止まる1週間くらいが、人生で最も暗かったかも。
2001年10月15日月曜日
2001年10月14日日曜日
事実上の倒産を決意(前日夜)
何も贅沢もしてない。自分用に私物も買ってもいない。
ただただ毎月毎月、経営する会社の資金繰りに追われていた。
従業員の給与だけは最優先して払ってきた。
しかし、今後の展開見込みも考慮し、Xデーの前日に
当時の幹部を集め、それぞれの見解を出し合った。
明日の手形期日分の決済がもはや不可能だ。
後で思えば、落ち着いて対処し、まだ打つ手はあったかもしれない。
皆で出した結論は明日朝一で法律事務所に駆け込む、つまり
明日から営業を停止することにした。
この時は、その後に大変な毎日が訪れるとは考える余裕すら無かった。
ただただ毎月毎月、経営する会社の資金繰りに追われていた。
従業員の給与だけは最優先して払ってきた。
しかし、今後の展開見込みも考慮し、Xデーの前日に
当時の幹部を集め、それぞれの見解を出し合った。
明日の手形期日分の決済がもはや不可能だ。
後で思えば、落ち着いて対処し、まだ打つ手はあったかもしれない。
皆で出した結論は明日朝一で法律事務所に駆け込む、つまり
明日から営業を停止することにした。
この時は、その後に大変な毎日が訪れるとは考える余裕すら無かった。
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